姫咲のリアル話。ネトゲもちょっと。


by HiME_SAKI
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<   2011年 03月 ( 1 )   > この月の画像一覧

被災地からこんにちは。

想像なんて出来なかった。こんなことになるなんて。

3/11・12と診察予定だった為、8:00頃実家へ到着。
 9:30頃 特売品の卵Lサイズ88円!を買いに近所のスーパーへ行くも売切…。
10:30頃 病院へ。待ち時間が結構長くて終了したのは12:22。
12:40頃 母は仕事へ出発。
父はこの日風邪で仕事を休んでいた為、二人でご飯食べてからこたつに入ってTV見てた。

カタカタと家具の揺れる音がしたけど、地震が多い地域だから気にしなかった。
数秒後、テーブルの上に置いておいた私と父の携帯から同時に大きな音が鳴った。
緊急地震速報。父はこの機能を知らなかった模様。
「大きい地震くるよ」とバックを持って家の前の公園に逃げた。
マンションの住人、近隣アパートの人が皆避難してきていた。

景色を見るとぐにゃぐにゃに曲がって見えて蜃気楼の様だった。
そんな景色を見たら全てが壊れてしまうんじゃないかと怖くなって叫び声が出た。
呆然としていたら大粒の雪が降ってきて、あっという間に周りが真っ白になった。

揺れが一旦治まり、母・Bさんに安否確認の電話をするも繋がらない。不安で仕方なかった。
何回も何回も電話した。周りにいた人も皆携帯を耳に当て、手元で操作しての繰り返し。
数分後、二人と連絡がとれて無事を確認。それだけで安心した。

母が帰ってくる途中の道に水が迫ってきていたらしい。
通るのがもう少し遅かったら津波に飲み込まれていたかもしれない…。
事実、数日後にその道を通った時大量の車・がれきが路肩に寄せられていた。
周りの建物の窓ガラスは割れ、中には店内にまで車が突っ込んでいる店舗もあった。
私が生まれ育ち、つい1年半程前まで住んでいた所だった。
数年前まで車で毎日その道を通っていた。これが?あの道なの?って大惨事。

22:00近く、Bさんが実家に到着。
街の明かりはなく信号も機能していない為、通常40分程の道程は2時間近くかかった。

震災当日・翌日は大きな余震も多く、建物の中にいるのがとにかく怖かったので初めての車中泊。
家の前の公園は避難場所になってる為、たくさんの車が停車していた。
寒かったけど、この状況がどこまで続くか分からないのでエンジンを付けっ放しには出来ない。
家から持ち出した布団にくるまって、暖かくなったら消して、寒くなったら付けての繰り返し。
そうしている間も余震が続き、とても眠れる状況じゃなかった。

当然ながら外に明かりはない。明るくなるのは付近を車が通りすがる時だけ。
車窓から空を見たら星がはっきりと見えた。
「ああ、星ってこんなに光ってるんだなぁ」のんきに思った。
逆に、そんな状況じゃなかったら気にも留めなかったことかもしれない。
とにかくその時は少しでも違うことを考えたかった。

ただ、うちはまだ良い方だ。
家族全員が無事。家もある。壊れたものは食器くらい。
家があって家族がいる。今までの当然がとても幸せなことだと感じた。
食べ物に関しても、そうだ。
うちも実家も完全自炊だった為、米・野菜などの買い置きが多少あった。
肉は特売日に買って冷凍保存することが多い我が家。それも幸いだった。

しかし当然ながら電気は使えず、部屋の明かりはロウソク数本。
移動する時は懐中電灯を持ち歩き、枕元にも常に置いている状態。

料理はカセットコンロ。カセットボンベは4本しかなく、いつまで持つか分からない。
幸い電力が14日に回復。
これにより、マンションの地下タンクの水が貯水槽に汲み上げられた。
各家庭、浴槽の半分程度貯水するように、と管理会社から通達有り。

(この仕組み、今回初めて知ったんだけど、集合住宅の人は覚えておくといいかも。)
(電力と水道が一緒に復旧した!と我が家はぬか喜びしたけど違うの…。)
(限りがあるから勘違いして普段通りに使わないように気をつけましょう)

電力復旧したことでうちにある電気コンロを持ってくればカセットコンロを使わなくて済む!
と、家の軽い片付けと確認の為ひとまず帰宅。
うち仙台市なのに電力復旧してなかった為、割れた物だけ片付けて実家に戻った。

現在、我が家は電力・水道とも復旧しています。
もしかしたらこの付近もガスはまだ復旧していないかもしれないけれど
オール電化なので食料さえあれば震災前の生活が出来ます。
ただ、買物が普段通りに出来ない。
大手スーパーでは購入点数・入店人数の規制があり、入店する為に数時間待ち。
入店出来ても自分に必要なものがあるとは限らない。

年中無休のお店が営業していないんですよ!
営業していても今まで普通に買っていた物が売ってないんですよ!
コンビニだって休業している所がいっぱい。

想像できますか?
街中の自動販売機の全種類が売切になってる状況。
地元の人しか知らないような小さな個人商店に人が殺到している状況。
個人商店のパンの棚にはこんな張り紙がしてありました。
「仙台の工場が稼動できず、東京からの発送分だけの入荷になります」
パンが真っ先になくなるんです。調理する必要がないから。
いつもは選べるくらい種類があるパンが一つもないんです。

震災後、友人達に連絡した時10日程返信がない子が何人かいました。
仙台港周辺に居住している子たち。
津波に巻き込まれたんじゃないかと本当に心配したけど幸い無事でした。
皆口を揃えて「家は流されたけど、家族が無事で良かった」と言っていました。

避難所生活は大変だと思う。他人が常に隣にいて、自分だけの空間がない。
家がある私ですら震災後、余震に対する不安で疲労困憊でした。
誰が見ても分かる位お腹が膨らんだ妊婦のため、
震災後「こんな時に大変ねぇ」とか「体大事にね」と声かけられることが増えたけど
中には避難所で生活する妊婦さんもいるんだよね…きっと不安。
ただ、まだ妊婦で良かったと思う。乳児の方がミルクやおむつの心配があるだろうし。

ちなみに実家の地域は水道・ガスが未だに復旧していない。
マンションから配給される水は毎日1家庭20リットル。
その為、米をとぐ余裕も乾麺を茹でて洗う余裕もない。
洗い物が出ないように紙皿を使用したり、食器にラップを敷いて使用します。

小さなペットボトルに水を入れ替え、それをちまちま使って手洗い・歯磨きします。
大きな水入れを持って近所の地下水が出るお宅にトイレ用の水をもらいに行きます。
その水を自分でトイレタンクに入れてトイレを流します。当たり前のことが出来ない。

蛇口をひねっても水が出てこない。
ガスが使えないからどんなに寒くてもお湯が出ない。

避難所だけではなく、店舗への物流も必要なんです。
家があっても食料が買えない、という人が増えています。
買占めは今、本当に必要ですか?



2/26の妊婦検診の際、切迫早産だと言われ、薬を処方されました。
震災の為、3/12予定だった検診は当然のごとく中止。
疲労・寒さでお腹が張って苦しい…。12日にもらう予定だった薬はなくなった。
最悪薬だけでも、と14日に病院へ。車椅子に乗せられて病棟で診察することになった。
赤ちゃんの心音が聞こえて、本当に安心した。

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by HiME_SAKI | 2011-03-24 12:29 | リアル